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2004年12月31日
6ヶ月ぶりに再会した日の笑満。すでにつたい歩きが出来るようになっていました。
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月刊「もん」第1回目
― 笑満(エマ)が私たちと出会った理由(わけ) ―
はじめに
心から子供が欲しいと考えている読者の皆さんに、私がどうしても伝えたいこと ― 人との出会いは偶然から生まれるものではないと云うことです。たとえ、あなたのお腹を痛めて産んだ赤ちゃんではなくても、あなたの腕に抱かれるその子はあなたにめぐり合うために産まれてきたのだと思うのです。
養子縁組(アダプション)という言葉の響きに私達日本人はどんな印象を持つでしょうか?昔から血縁関係がある家族間での“養子縁組”は、よく話に聞きます。でも、何らかの事情で両親がいない子供達が生活する施設から養子をもらうという行為に関しては、あまり良い印象を持たない人が多いのではないでしょうか? 実は、私自身も“見知らぬ女性から産まれた子供”の一生を面倒みるなんてことは考えたこともありませんでした…。 − 笑満と出会うまでは。
私たちの娘、笑満は今2歳半、普通のやんちゃな女の子です。この物語は、私たち夫婦と笑満との出会いから日本とアメリカを又に掛けた養子縁組を法的に成立させ親子として三人で渡米するまでの約2年間に渡った出来事を綴っていこうと思います。
縁(えにし)
人と人との出会いが赤い糸でつながっているのだとすれば、私たち夫婦と笑満との出会いは、様々な偶然という赤い糸が、海を超えてサンフランシスコに生活拠点を置く私たちにまで届いたのでしょう。それは今から思えば、笑満自身が私達の心から生まれた必然性をおびた幾多の偶然から紡いだ赤い糸だったのかもしれません。
私自身は子供をアダプトして育てるということに対して反対はしないまでも、私の妻のように熱心に考えていたわけでもなく、彼女の相談にもナマ返事ばかりしていました。それが、私が日本へ向けて出発する直前、「もし岐阜で産まれてパパとママを探している赤ちゃんだったらアダプトする気持ちはある?」と妻が聞いてきました。
私は確信を持って「ある」と答えたのです。でも、その確信とは、「そんなの存在する筈ない。もし、いたとしても何のコンタクトもない私たちに見つけられるわけがない」という確信でした。 しかし、それは私たちがまだ気付いていなかっただけで、その何ヶ月も前に“発生”した偶然からつながった赤い糸の通過点にすぎなく、私の故郷、岐阜に住んでいる父の気まぐれな言葉に端を発した出来事にまで時間はさかのぼります。(次回に続く)
青木信哉
Aoki USA, Inc.代表 & 翻訳家
Emasmile@aol.com |