
月刊「もん」第10回目
― 笑満(エマ)が私たちと出会った理由(わけ) ―
プレスクールを1年間無事終えた笑満は、6月の終業式には精勤賞の表彰を受けました。親にとって子供が健康であることは何よりの財産です。8月号、9月号とお休みを頂いて“ボクは絶対あきらめない”という脳腫瘍で亡くなった英之くんの回想記を綴っていて、健康な身体で生まれてきた笑満に感謝しなければ、ちょっとの悪戯くらいで目くじら立てて怒ってはいけない…。そう思いながらも、やっぱり今日も笑満を叱っている自分に「反省」です。
7月号では、日本の養子制度の一つである普通養子制度について触れました。今号では、アメリカの養子制度と同じ形態の「特別養子制度」についてその概要だけお話したいと思います。ちょっと固い話で興味のない方には面白くないかも知れませんが、日本でこの特別養子制度が制定されていなかったら笑満が私たちのもとに来ることはりませんでした。
特別養子制度
―親子断絶型−
アメリカのシステムように実の親子との関係が完全に断たれる“断絶型”養子縁組が、1988年から日本でも施行されました。これが“特別養子制度”です。“普通”との大きな違いは何と言っても親子関係にあります。それは審判確定後、実の子供と同様の戸籍が編成され、戸籍謄本には養子という文字はどこにも記載されません。つまり“わが子同然”ではなくて“わが子”なのです。
しかし実際の親との関係が断絶されるという後戻りできない制度であるが故、裁判所の審判はとても慎重です。試験養育期間といって通常6ヵ月間は養親と養子になる子供が一緒に暮らすことを義務付けられます。そして、この間もただ子供と暮らすのではなく、裁判所の調査官による数回にわたる家庭訪問、調査書類の追加提出など手続きが煩雑です。一人の子供の人生を決めることですから当然のことと思いつつ、その当事者としては「何でそんなに私たちを疑うの?我々はこの子と幸せに暮らしたいだけなのに…」そんな思いが募る時期でした。
−裁判官の温情−
当初、私たちは“普通”であろうが“特別”であろうが形式にはこだわっていませんでした。現に最初は“普通養子縁組”で裁判所に書類を提出しました。それはとにかく一刻も早く笑満を私たち家族の一員として迎えたかったこと、特別養子縁組にすると両親がそろって最低6ヵ月間は岐阜に留まらなければならなかったからです。しかし、それには裁判所から「待った」がかかりました。なぜなら笑満をアメリカに連れて行くのなら、「アメリカと同じ条件で養子縁組をしなければ、アメリカから正当な入国ビザは許可されない」という理由でした。
いくら私たちの仕事が自営業だからといっても半年以上もサンフランシスコの仕事を空けることは不可能です。裁判官もそれを十分承知していて私たちにこう話しました。
「通常の特別養子縁組であれば、この事例は成り立たずに終結するところです。しかし、この子(笑満)の将来を考えるにあたって、この縁組を成立させずに終わらせることが必ずしも子供の将来のためになるとは考えられない。したがって、法的には書類の提出が完了し、子供と一緒に生活をし始めてから六ヶ月の試験養育期間を課すのであるが、養親が帰国して笑満と再会した日から数えて六ヶ月間、そして、一緒に生活するのは養親のどちらかで良しと認める」 と極めて寛大な心で見ていただきました。
さて、そうなると岐阜に残るのは、パソコン1台あれば現場に居なくても何とか仕事ができる私です。もちろん岐阜ですから実家があり生活費の心配はありませんが、初めての子育てを、たとえ限られた期間でも私とお爺ちゃんの“男手”だけというのは正直いって非常に心細いものでした。次号は、私と笑満が岐阜で過ごした日々を紹介します。
青木信哉
Aoki USA, Inc. 代表 & 翻訳家
今までの連載は、www.aoki-usa.com で読むことができます。 |