
月刊「もん」第10回目
― 笑満(エマ)が私たちと出会った理由(わけ) ―
−家族になった日−
孫に「おじいちゃ〜ん・・・」と呼ばれれば、どんな頑固者でも目元が緩みます。私の父も例外ではありません。親戚や友人宅、今ではどこへでも連れていって孫の自慢をする、親バカならぬ「爺バカ」と化しています。しかし、最初からそうだった訳ではありません。笑満が来た頃は知り合いや近所の人に、「お孫さんですか?」と問われても、ハッキリ「そうです」と返事をすることはありませんでした。
そんな状況が一転したのは、笑満の無邪気で純粋な行為からでした。いつものように笑満がおじいちゃんの膝の上で朝ごはんを食べていると、突然、「ハクショ〜ン」おじいちゃんが大きなくしゃみをしました。笑満はスルスルと膝の上から降りて隣の部屋へスタスタと行ってしまいました。父も私も大きなくしゃみにビックリして退散したのかと思っていたら笑満が一枚のティッシュペーパーを持ってきておじいちゃんに手渡したのです。その時のおじいちゃんは言葉にできないくらい嬉しくて、思わず笑満を抱きかかえていました。笑満が本当の家族の一人となった瞬間でした。
−サンフランシスコへ−
法的な手続きが終了した時は既に9月半ばでした。私としては、やっとここまでたどり着いたという気持ちでしたが、この頃の父は複雑な心境でした。なぜなら、笑満がアメリカへ旅立つ日が近くなってきたからです。
10月25日、寂しさをこらえて父は私たち3人を中部国際空港まで送りました。ドラマのようなセンチメンタルな場面はありませんでしたが、私の心の中は父が笑満を受け入れてくれたことの喜びと感謝の気持ちで一杯でした。笑満を我が子にするために妻と私はいくつもの壁に立ち向かってきました。ですがそれが辛いとか諦めようと思ったことは一度もありません。唯一、笑満をよく知らなかった時期の父の言動や態度に腹立たしく思うことが度々ありましたから、そのことで“しこり”を残すことなくアメリカへ経つことが出来たからです。
−BORN FROM OUR HEART−
運命の轍となった赤い糸とは、まず普通では考えられない父の英会話通いから端を発した大学教授との出会いから乳児院への訪問までの軌跡。“乳幼児ホームまりあ”のスタッフが“えま”を選んで連れてきた奇跡。初対面で彼女が満面の笑みを私たちに放った時、このまま何もせず立ち去ってしまうと年老いて自分の人生を振り返った時、取返しのつかない忘れものしたと後悔する私たちを想像しました。そして、この出会いが最愛の母の一周忌を済ませた直後であった事は、生前女の子の孫が欲しかった私の母からのプレゼントだったに違いありません。こうして授かった子供は私たちの心の中で育ち“笑満”が誕生しました。
−みんなにありがとう−
笑満の人生の始まりにパパとママの温かさに包まれることは叶いませんでした。でも、それが不幸だったとは思いません。どんな状況でも産まれて来ないほうが良い赤ちゃんなど一人もいません。笑満の母親は勇気ある人です。彼女に対する周囲の目は私たちが想像する以上に厳しいものだったと思います。どんな辛い立場になっても笑満をこの世に送り出してくれたお母さんの勇気と優しさに妻と私は心から感謝します。
笑満の幸福と私たちの志のために、優しく見守りたくさんの勇気を与えてくれた皆さん、本当にありがとうございました。そして養子縁組を希望するご夫婦の方へ。どこかでお二人を必要とする赤ちゃんがきっと待っています。そんなご夫婦をこれから私たちは応援したいと思います。
読者の皆さん、私の未熟なエッセイに最後まで付き合っていただき有り難うございました。
笑満はジャパンタウンを走り周るのが大好きです。いつか見かけたら気軽に声をかけてやってください。
(おわり)
青木信哉
Aoki USA, Inc. 代表 & 翻訳家
今までの連載は、www.aoki-usa.com で読むことができます。 |