月刊「もん」第6回目

                   
― 笑満
(エマ)が私たちと出会った理由(わけ) ―

“この子のハンディキャップは外国人とのハーフであることです”(1月号から)この言葉を発した人がハーフという事実を本当にハンディキャップだと思っていたわけではなく、親代わりになって育てている子の前途への心遣いからの一言でした。
英語にハーフという言葉で国籍が違う夫婦から生まれた子供を呼ぶことはまずありません。アメリカではBi-Racial (バイレーシャル)とかBi-Culture(バイカルチュア)といって二つの文化を持った人間ということで、それが有利な方向へ導くことはあっても、まず不利益にはならないと考えるのは私だけでしょうか。しかし、日本の地方都市ではまだまだ「外から来たものは叩かれる」的な異文化の合併症のようなものが根強く残っているのは紛れもない事実です。民族の殻に閉じ込められない心のグローバル化を望みたいですね。でも最近は隣国のドラマ『冬ソナ』が日本で流行る時代ですから遠い未来の事ではないと思うのですが。

笑満が育っていくサンフランシスコは、様々な人種が生活している“マルチカルチュア”の街ですから、小中学校では1クラスに平等な割合でアジア系、南米系、欧米系というように分けられます。こうした環境の中で、アメリカ人の子供が中国人の子供と一緒に旧正月をお祝いし、日本人がユダヤ人のお祭りに参加するなど、毎日インターナショナルな勉強方法、遊び、習慣を分け隔てなく身に付けていくのです。せっかくバイカルチュアとして生まれてきた笑満です。彼女には将来、自分が生まれた日本を大切にする心を持ち、自分を育ててくれるアメリカそして世界で活躍できるよう成長してもらいたいし、そんな環境を与えることは私たちのこれからの責任だと思います。

希望のために
2004年6月中旬、サンフランシスコに戻ってきた私たちは、これから降りかかる数々の難題に挑むことになろうとは全く想像しないまま“今年のクリスマスは親子三人で楽しく過ごせるだろうね”などと安易なことを話していました。

「笑満は私たちが必ず迎えにくる」そう決心したものの、笑満との養子縁組は、私たちを含めてこの縁組に携わった全ての人々にとって、施設の子供を養子にして海外に連れて行こうとすることが前例のないことで、全く白紙の状況からこの取り組みは始まりました。もっとも日本国内において施設の子供を養子にする、または親代わりの里親になるということに関しては、全体の件数は少ないものの行政でしっかりしたレールが引かれ、養親の安定した生活基盤と確固とした決意があれば然程困難ではありません。

私たちに立ちはだかった最初の壁、それは二人とも日本に在住していないこと。住んでいないので住民票がなく里親登録が出来ないことでした。“まりあ”へ初めて訪問した時、「施設の子供との養子縁組を希望するなら、まず岐阜市の“子相”(子供相談所)で里親登録をしなさい」と言われ、さっそく足を運びましたが、予想通り住民票がなければ里親登録は無理、従って一般的な方法で養子縁組を進める道はこれで途切れました。

この段階で私たちと笑満の物語は“The End”ということにもなりうる状況でした。それが今思い起こすと、なぜ笑満に関わった皆さんがここまで親身になってくれたのか…、笑満は施設にいる子供の一人に過ぎません。それなのに「この方法がダメならあの方法を」とみんなが昼夜を問わず動き回って解決策を見出しました。それは“まりあ”のスタッフに限らず子供相談所のお役人、そして極め付けは家庭裁判所の裁判官までもが、難しい言葉でならべられた規則の行間をすり抜けるようにして難関を突破していったのでした。
一人の子供を幸せにすること、それがみんなの目標となり希望となったのだと思います。

 


青木信哉
Aoki USA, Inc. 代表 & 翻訳家
今までの連載は、www.aoki-usa.com で読むことができます。